“鈴木主水”の解説
鈴木 主水(すずき もんど)は、信濃国上田城主・真田昌幸の家臣として、上野国 名胡桃城の城将を務めたとされる人物。真田信之(信濃国上田藩初代藩主)の家臣であった鈴木忠重(右近)は、鈴木主水の子とされる。
『加沢記』などの軍記物には下記のように記されている。
名胡桃城(真田昌幸 領)の城将であった鈴木主水『加沢記』(活字本。上毛郷土史研究会、1925年)によると、鈴木主水の諱は「重則」。 は、天正17年(1589年)に猪俣邦憲(上野国沼田城〈後北条氏 領〉の城将。真田昌幸と敵対していた後北条氏の、上野国方面指揮官である北条氏邦の家老)によって名胡桃城を奪われた(名胡桃城事件と呼称される)。
(出典:Wikipedia)
『加沢記』などの軍記物には下記のように記されている。
(出典:Wikipedia)