諦観たいかん)” の例文
旧字:諦觀
だから「あきらめる」とは「諦観たいかん」することで、つまり、もののほんとうのすがたを見ること、すなわち真実を見きわめることです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
だから釈尊は、人間の苦悩くるしみはどうして生ずるか、どうすればその苦悩を解脱することができるか、という、この人生の重大な問題をば、この「十二因縁」という形式によって、諦観たいかんせられたのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)