薨後こうご)” の例文
定家の薨後こうごは事実上歌壇の棟梁とうりょうであったけれども、定家に抑えられていた反対勢力が少しは動き出した形があって、平穏とばかりはいえなかった。建治元年五月一日薨去、年は七十八であった。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)