然るに寛保二年に正明が病んでまさに歿せんとする時、その子独美どくびわずかに九歳であった。正明は法を弟槙本坊詮応まきもとぼうせんおうに伝えて置いてめいした。そのうち独美は人と成って、詮応に学んで父祖の法を得た。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)