幕府が、へんを知ったのは、どんなに早くても、九日の夜であったろう。即時、桜田治部大輔さくらだじぶのたゆうを大将に、兵五万騎を派すと号された。しかしそんな余力は鎌倉にない。時間的にもまにあわない。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)