巳刻半よつはん)” の例文
幾十人の獄卒ごくそつに護られ、罪状を書いた高札を掲げて、江戸中目貫の場所を引廻しの上、鈴ヶ森の處刑場に着いたのは、巳刻半よつはん(十一時)少し過ぎでした。
翌る日、平次と八五郎と佐吉が、竹町の春日家に顏を揃へたのは、巳刻半よつはん少し過ぎでした。
「お昼少し前、——昼のお膳を持って行って——すると竜吉さんが殺されたのは巳刻半よつはん(十一時)私が羽子を突いていたころ、——松次郎さんをお使いにやって間もなくか知ら——」
「皆んな巳刻半よつはん(十一時)には出かけましたよ。殘つたのは旦那とおいらだけで、旦那の弟御の伯次さんは、花見なんか馬鹿々々しいから、竹屋の渡しで舟から降ろしてもらひ、寺島の寮へ行つて、寮の近所の小川で釣でもするとか言つて居ました」
「皆んな巳刻半よつはん(十一時)には出かけましたよ。残ったのは旦那とおいらだけで、旦那の弟御の伯次さんは、花見なんか馬鹿馬鹿しいから、竹屋の渡しで舟から降ろしてもらい、寺島の寮へ行って、寮の近所の小川で釣でもするとか言っていました」