院内峠いんないとうげを踰えて秋田領にった時、五百らは少しく心を安んずることを得た。領主佐竹右京大夫義堯さたけうきょうのたゆうよしたかは、弘前の津軽承昭つぐてると共に官軍がたになっていたからである。秋田領は無事に過ぎた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)