主計頭かぞへのかみ)” の例文
「同三年阿部主計頭殿、後備中守嫡子運之助殿を診ひ、主計頭に謁す。此善直諸侯に見の始なり。」阿部主計頭かぞへのかみは即ち棕軒侯正精まさきよである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
此後加藤主計頭かぞへのかみ清正の夫人を、梶原助兵衞が連れて、同じく大阪を拔け出し、これも中津川へ著いて、妻の兄梶原八郎太夫の家に泊まつたので、如水は加藤夫人に衣類を贈り
栗山大膳 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
蘭軒略伝には蘭軒は榊原主計頭かぞへのかみに随つて長崎に往つたと云つてある。文化中の分限帳をけみするに、「榊原主計、三百石、かがやしき」としてある。しかし文化三年の役人武鑑はこれを載せない。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)