“下瀬火薬”の解説
下瀬火薬(しもせかやく)は、大日本帝国海軍技師の下瀬雅允が実用化した火薬(砲弾の炸薬)である。日露戦争当時の帝国海軍が使用し、日露戦争における大戦果の一因とされた。
成分は純粋ピクリン酸であるが、砲弾への充填方法に特徴があった。具体的には、金属と反応するピクリン酸を、腔発が発生しないように、かつ大量に、砲弾に充填する技術を確立していた。一方、帝国陸軍が用いたピクリン酸炸薬である黄色火薬では腔発が多発したという。
(出典:Wikipedia)
成分は純粋ピクリン酸であるが、砲弾への充填方法に特徴があった。具体的には、金属と反応するピクリン酸を、腔発が発生しないように、かつ大量に、砲弾に充填する技術を確立していた。一方、帝国陸軍が用いたピクリン酸炸薬である黄色火薬では腔発が多発したという。
(出典:Wikipedia)