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おおすがやすたか
ふりがな文庫
“おおすがやすたか”の漢字の書き方と例文
語句
割合
大須賀康高
100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
大須賀康高
(逆引き)
家康は、開城をゆるす——と城内へ云い送って、翌七月三日、
大須賀康高
(
おおすがやすたか
)
に、武装解除の命をさずけて、城中へやった。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「今朝から、お居間は、いと静かだ。——桑名から来た左衛門尉忠次どのや、
大須賀康高
(
おおすがやすたか
)
どのなどの、老臣ばかりをよばれて……今日も何やら御熟議らしい」
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それが、草ほこりを立てて、一瞬に、兵糧時間の休息から戦うべき
相
(
すがた
)
に移るまでの間に——一方、東軍徳川方の部将、
大須賀康高
(
おおすがやすたか
)
、
岡川長盛
(
おかがわながもり
)
などの追跡隊は
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
追跡隊は、右翼、左翼にわかれ、右の千八百人は、
大須賀康高
(
おおすがやすたか
)
が、指揮し、左の千五百五十人は、
榊原康政
(
さかきばらやすまさ
)
、
本多康重
(
ほんだやすしげ
)
、
穴山勝千代
(
あなやまかつちよ
)
などが、部将として、急ぎにいそいだ。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
また、北門の
戌亥口
(
いぬいぐち
)
に配するに、
水野忠重
(
みずのただしげ
)
、
大須賀康高
(
おおすがやすたか
)
。そのほか物々しい軍勢をおき、西部方面は、これを信雄の軍にまかせ、遊軍として、
石川伯耆守数正
(
いしかわほうきのかみかずまさ
)
を、全陣のわきに備えた。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
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