)” の例文
川中島のめぐる疎林や、丘の草にも、ほのかな緑がえ出して、信濃の春は、雪解ゆきげを流す千曲ちくま川の早瀬のように、いっさんに訪れて来た。
山浦清麿 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四月の陽は縁から雨落に這つて、江戸の櫻ももうお仕舞ひ、狹い庭に草の芽がえて、蟻はもう春の營みに、忙しい活動を續けて居ります。
そこは空気が陽にあたためられた湯のように温かく、え出た草の芽と若葉の香が、むっとするほど刺戟的に匂っていた。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
草は丘の斜面で春の炎のように燃えたっている——「最初の雨にうながされて草ははじめてえそめる〔原文ラテン語〕」
同一の環境の下にいでても、多様多趣の形態を取ってえ出ずるというドフリスの実験報告は、私の個性の欲求をさながらに翻訳ほんやくして見せてくれる。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
おそいつぼみもあった。蕾は、むすめの乳首のようだ。お高は、そのまきのような梅の木にも、そんなえる力があるのかと何だか恥ずかしいような気がした。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
次に國わかく、かべるあぶらの如くして水母くらげなすただよへる時に、葦牙あしかびのごとあがる物に因りて成りませる神の名は、宇摩志阿斯訶備比古遲うましあしかびひこぢの神。次にあめ常立とこたちの神
初夏の空美しく晴れ崖の雑草に青々とした芽が四辺あたりの木立に若葉の緑がしたたる頃には
木はまだ青葉にはなっていなかったが、芽は既にうすい影を落すくらいにはえ出ていて、一面に日の光をうけて緑色に輝いていた。古い、茶色の落葉に半ばうずまった、苔むした岩があった。
え出でんとする芽は、その重みの下に押しつぶされる。人の心は息がつけなくなる。ただ首垂うなだれて、おのれの停滞した存在を見守るのほかはない。生命の力は萎微いびし、生きんとする意力は鈍ってくる。
で蕭然たるうちに物皆ゆる生氣は地殼に鬱勃としてゐる。
解剖室 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
やせぬか
おさんだいしよさま (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
「萬七親分もさう考へたことだらうな。でも、草がよくえてゐるのに、石などを轉がした跡はないぢやないか」
河原はいちめんに草がえ、あしの芽がつんつんと伸びている。俗にそこは「水車場」といわれるが、水車はない、あったとすればずいぶん昔のことだろう。
百足ちがい (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
もし森が伐りはらわれるとしても、あとからえ出す新芽と茂みとはかれらに隠れ場をあたえ、その数は前よりもふえる。ウサギを生かしておけないような田舎は実にあわれむべき田舎にちがいない。
いもが垣根の草もゆらん
縁側は見通し、庭も廣々として、滿開の櫻の外には、まだえ初めぬ草地にさす影もありません。
春とはいえまだ草の芽が微かにえはじめたばかり、広い空地は荒涼と枯れている、そこへ色彩華やかな乙女たちが駒を揃えたのだから、その派手なことはちょっと類がなかった。
粗忽評判記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
塔の前の、え始めた若草の上に、多見治はどつかと坐つて、自分の腕を後ろ手に廻すのでした。
しかし芽もえぬうちにんで捨てた。自分のたつきの苦しいなかで人に貢いだ。
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
岩蔭にえ出る若草か、それともひるま陽に暖められた岩が匂うのか、極めてほのかではあるが、それはいかにも季節の変ったことを告げるかのように、深く、胸の奥までしみとおった。
ちくしょう谷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
え始めた若葉の上、連翹れんげうが上から差しのぞいて、淡い春の陽、遠卷にした野次馬の眼にも、荒筵からはみ出した白い脛と、踏み脱いだ下駄が、赤い鼻緒を下にして、八文字に飛散つてゐるのが
え出した草地ですよ」