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曠
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は
ふりがな文庫
“
曠
(
は
)” の例文
必定、万人環視の
曠
(
は
)
れの場で、意趣を晴らさんとする腹だろう。そこで直義は「……どうなさいます? 兄上」と、兄の顔を窺った。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その前後には何十
疋
(
ぴき
)
の馬に乗って居るところのシナ官吏が、今日を
曠
(
は
)
れと立派な官服を着飾って
前駆護衛
(
ぜんくごえい
)
をなして行く。
チベット旅行記
(新字新仮名)
/
河口慧海
(著)
明日は、家中の人、
曾我部兵庫
(
そがべひょうご
)
へ
嫁
(
とつ
)
ぐというので、きょうも一日、
曠
(
は
)
れの荷物や、何かの支度に、
忙
(
せわ
)
しく暮れたこの部屋だった。
夕顔の門
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
公卿にして実戦も経てきた忠顕にすれば、今日の
曠
(
は
)
れに、この名誉第一の役を、他の一武臣などに
委
(
ゆだ
)
ねてはおけない気概だったものだろう。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そうか。鎌倉諸大名が集まる
曠
(
は
)
れての中、わけて太守の御前、いささかの進退にも、よう気をつけよ。京の小酒屋などとは、場所が違うぞ」
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
「されば、お二人様にも、その後は一色ノ庄でおつつがなく。そして
曠
(
は
)
れて御対面のかなう日を、今日か明日かと、お待ちかねでおられまする」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ついては明日、
曠
(
は
)
れの場を用ゐ、馬上
帯弓
(
たいきゅう
)
の
装
(
よそほ
)
ひにて、久々の御あいさつ申さむとこそ存ずれ。お覚悟いかに。
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いまや
曠
(
は
)
れの御上洛、その途上にある
美味
(
うま
)
さも心に加味されていよう。……お。おん僧もこれへ加わり給え」
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北条一族中での名門であり、
曠
(
は
)
れの
総帥
(
そうすい
)
の名に気負ってもいた。高氏は、その着陣早々に、じぶんのほうから彼の陣を訪ねて行った。そして、ことばも低く
私本太平記:08 新田帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
花の三月、場所は、柳営ノ松の間の廊下という
曠
(
は
)
れの舞台で、しかも、扮装は、
大紋烏帽子
(
だいもんえぼし
)
という古典的な装いの
下
(
もと
)
に、殿は上野介へ、あの刃傷に及ばれた。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
神祖
偃武
(
えんぶ
)
以来の
曠
(
は
)
れ場所は実に今でなくて武士の一生涯にまたとあろうか——鐘巻自斎いかなる
稀世
(
きせい
)
の剣妙であるとも、勝たねばならぬ、撃ち込まねばならぬ。
剣難女難
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼女はただ——女ごころに——殊にそういう
曠
(
は
)
れがましい事は好きだし、又
性来
(
せいらい
)
が勝気だし——一面には又、浪人して出て来た
故郷元
(
くにもと
)
に対しても、ここで良人が
死んだ千鳥
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
詩は、彼でなく、
大覚
(
だいかく
)
ノ
宮
(
みや
)
が書いたものである。——やがて天皇が、隠岐から都へ
還幸
(
かんこう
)
となった
曠
(
は
)
れの日に——高徳もまた宮と共に、
龍駕
(
りゅうが
)
にしたがって都へ入った。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
だから
曠
(
は
)
れの凱旋の
鹵簿
(
ろぼ
)
をお迎えに——と、これへ来ても、正成はじめ、弟の
正季
(
まさすえ
)
、一族すべて、特別、身にかざる
綺羅
(
きら
)
なよろい太刀や行粧などは持ち合せていなかった。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ことを一度盛大な
華燭
(
かしょく
)
をもって披露するも急務なりと考えられて来た。その結果、
曠
(
は
)
れて
輿入
(
こしいれ
)
をとにわかに、お市御料人の北ノ庄入りの盛儀が運ばれ出していたのである。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
寛永
(
かんえい
)
、
正徳
(
しょうとく
)
以来、ここ五、六十年間の通し矢は、御三家や各藩士の間でばかり競技が行われて来ていたが、今度は、
遍
(
あまね
)
く天下の隠れたる
弓仕
(
ゆみし
)
に、あの
曠
(
は
)
れの場所が与えられ
死んだ千鳥
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
その義貞への朝命は、十八日に
降
(
くだ
)
り、十九日には、はや京中出陣ぶれの勢揃いがおこなわれていた。——早朝に、彼は
曠
(
は
)
れの大よろいを着かざって、いそいそと参内に向った。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「おさらばでおざる。……都までも
曠
(
は
)
れのお
還幸
(
かえり
)
を遠くでお祈り申しあげておりまする」
私本太平記:06 八荒帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、そう
曠
(
は
)
れがましゅう
仰
(
おお
)
されては、勝入は、穴にでもはいりたい。聟の短慮からお味方の出鼻をくじき、何と、お詫び申そうやら、実は、お目にかかるのが
辛
(
つろ
)
うおざった」
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「なにせい、
曠
(
は
)
れの人中というと、いつもヘマやら大事を起され勝ちな兄上だし……」
私本太平記:02 婆娑羅帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
このとおり身も健固、また、政務も
滞
(
とどこお
)
りなく運んでおれば、そう心に懸けて、度々の上洛には及ばぬ。——いや、それよりは、姉川より凱旋のこと、きょうは
曠
(
は
)
れの祝い、奥で盛宴を
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と
称
(
とな
)
え、また高氏もそれを称揚して、共々、
曠
(
は
)
れの
御車
(
みくるま
)
迎えに来ていたのだった。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そち達、よう精出して喧嘩するので、
明日
(
あす
)
は、
曠
(
は
)
れて真剣の決戦をさせてやると、義左衛門様のお
計
(
はから
)
いじゃ。明日こそは、兄弟とて、紀一郎も弟に負くるな。謙三郎も兄に負けるなよ」
剣の四君子:04 高橋泥舟
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
勾当ノ内侍は、いや麗子は、まだ
曠
(
は
)
れては、一族の人と顔を合せていないので
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「されば、
曠
(
は
)
れての帰参は、てまえにしても、他日に願わしゅうぞんじまする」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
かつて京の小酒屋で見たような逞しい闘犬が、
別拵
(
べつごしら
)
えの“御犬輿”の上に
担
(
にな
)
われて、傲然と、路傍の庶民を
睥睨
(
へいげい
)
し、武士数十人をしたがえて、今日の
曠
(
は
)
れの場、鳥合ヶ原へ向って行くのだ。
私本太平記:01 あしかが帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
石清水行幸
(
いわしみずみゆき
)
にも、元成は、
曠
(
は
)
れの
車副
(
くるまぞ
)
いに立ち、派手ずきな主の好みで、他の侍八人と共に、
銀延
(
ぎんの
)
べ地に鶴ノ丸を黄に染めだした揃いの小袖に、下の
透
(
す
)
けてみえる
水干
(
すいかん
)
を着て、人目をひいた。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
会見はそこでときまり、四月の下旬、
上総介
(
かずさのすけ
)
信長は
曠
(
は
)
れの人数を
率
(
ひき
)
いて、
那古屋
(
なごや
)
の城を出、やがて木曾川、
飛騨川
(
ひだがわ
)
の
渡舟
(
わたし
)
も打ち越えて、青葉若葉につつまれた富田ノ庄へ押しすすんで行った。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
よくぞ武人の妻にとあらためて思うほど
曠
(
は
)
れた
幸
(
さち
)
にもつつまれるが、ひとたび敗者に立ったときの——わけても居城を
逐
(
お
)
われて
落人
(
おちゅうど
)
になったときの——惨たる姿と心根とは、平常、野に働いたり
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
五郎大夫の研究はその目的を達して、いよいよ
曠
(
は
)
れて帰る日が来た。
新書太閤記:01 第一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
曠
漢検1級
部首:⽇
19画
“曠”を含む語句
曠野
曠々
曠古
曠着
曠達
曠日
大曠野
曠劫
曠世
曠原
曠茫
曠野集
曠日弥久
曠量
清迥閑曠
曠衣裳
曠衣
曠草
蕭散閑曠
曠職
...