さかし)” の例文
うぐいすは身をさかしまにして初音はつねを張る。余は心を空にして四年来のちりを肺の奥から吐き出した。これも新聞屋になった御蔭おかげである。
入社の辞 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
一の心状を示さむが為、おもむろに物象を喚起し、或はこれとさかしまに、一の物象を採りて、闡明せんめい数番の後、これより一の心状を脱離せしむる事これなり。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
その時である、はじめて事の軽々しくないといふ一種の不安が僕らの心を圧して来て、そこに居たたまらないやうな気がした。童は二たび身をさかしまにして水中に潜つて行つた。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
目を覚ますと、弟のお清書を横にさかしまに貼つた、枕の上の煤けた櫺子れんじが、僅かに水の如く仄めいてゐた。誰もまだ起きてゐない。遠近をちこちで二番鶏が勇ましく時をつくる。けたたましい羽搏きの音がする。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
柳は狂ひしをんなのごとくさかしまにわが毛髪まうはつを振りみだし
詩集夏花 (新字旧仮名) / 伊東静雄(著)
このもとの雪にれつつさかしまにかすみの衣着たる春かな
源氏物語:36 柏木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
泥から生れたこいふなが、やみを忍んでゆるやかにあぎとを働かしている。イルミネーションは高い影をさかしまにして、二丁あまりの岸を、尺も残さず真赤まっかになってこの静かなる水の上に倒れ込む。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
身をさかしまにして、ふくらむ咽喉のどの底をふるわして、小さき口の張り裂くるばかりに
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
便たよる未来がほこさかしまにして、過去をほじり出そうとするのはなさけない。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)