薔薇園しょうびえん)” の例文
薔薇園しょうびえんの亭ともよばれ、平家全盛時代ほどなものはないが、ついさきごろは、後伏見、花園の二上皇もご避難していた御所ではあり
いつも会う所は、薔薇園しょうびえんへ面している東の書院であった。——が尊氏は、その書院へゆく途中の角廊すみろうに立っていて、彼を見ると
かくておよそ宮廷人ばかりの百二、三十名が、どっと北御所から薔薇園しょうびえんの大庭へまろび出て、あとは暗い夜風のなかをヒタ走りにあえぎあった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あの空地あきちの草原で、子供たちや、牛が遊んでおりましょう。あれは、小松殿のおやかたのあった薔薇園しょうびえんの跡でございます。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この日の五条総門は、もと薔薇園しょうびえんの辺から主典すてんつじ、車大路まで、供待ちの馬や車でいっぱいだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
薔薇園しょうびえんの邸にいる子息の小松重盛しげもりは、それを聞くと、悲壮な決意をもって、父の清盛を訪ずれた。そして、面をおかして、重盛は、聖徳太子の古言をひいて、憤怒ふんぬの父をいさめた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
例のひさしで、一ト汗拭いて、やがてのこと、薔薇園しょうびえんの書院のうちに、ぬかずいていた。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北苑を見やれば、加茂の川岸まで、薔薇園しょうびえんの広芝に明るい陽がほかほかしていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし本道ほんみちの五条大橋を越えてゆくと、橋の東に小松殿の薔薇園しょうびえんがあり、その向い側には入道相国の六波羅の北門ほくもんがあって、その間を往来するのはいつも何となく小気味がよくないし
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もう濁流にせかれる花と泡沫うたかたの明滅みたいに、白い素足やら夜風のなかの被衣かずき、また、みだれにまかす黒髪などが、むかし薔薇園しょうびえんとよばれた六波羅北苑ほくえんの木戸から東山のほうへ落ちて行き
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小松殿の薔薇園しょうびえんだの平相国入道へいしょうこくにゅうどうやかただのがいらかをならべていた平家繁昌の頃から、このあたりは民家も人通りも多い中心で、戦国以後もその旧態を残しているが、まだどこの家も戸は開いていなかった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)