あたま)” の例文
旧字:
現在いまではただの労働者でも、絵だの彫刻だのというようなことが多少ともあたまにありますが、その頃はそうした考えなどは、全くない。
そうして、呆気にとられた早苗の手から、二、三枚の銀貨を握ったとき、左枝は突然、あたまに灼熱するようなものを感じた。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
つむかしの士族書生の気風として、利をむさぼるは君子の事にあらずなんと云うことがあたま染込しみこんで、商売ははずかしいような心持こころもちがして、れもおのずから身に着きまとうて居るでしょう。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
行末うなるのか! といふ真摯まじめな考への横合から、富江のはしやいだ笑声が響く。ツと、信吾の生白い顔があたまに浮ぶ、——智恵子は厳粛おごそかな顔をして、屹と自分をたしなめる様に唇を噛んだ。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
それを、いろいろの機会に見附け次第、買ったり借覧したりして見ると、どうも私のあたまがそれにき附けられ、また動いて来る。
私もまた、東雲師から、風雲はこういって我々をいましめられた、といってその話を聞かされたものであります。それで、私のあたまにも、この言葉が残っている。
……という話を安さんが私の頭を結いながら乗り気になって話しますので、私も子供心にチョイとあたまが動いて
安閑としてぶらり遊んでいることは嫌いで必ずしも自分の仕事がかねにならなくても、手とあたまとを使って自分の意匠を出して物をこしらえて見ようというのである。
それに当時は私ももっぱら師匠の仕事を手伝い、また自分が悉皆すっかり任されてやったといってもいものもあって、自分の腕にもあたまにも少なからずためになったものでありました。
この心あってこそ、あたまも腕も上達するというもの、まだまだ我々は其所までは行かない。名人上手の心掛けはまた別なものだと私は心ひそかに石川氏の心持に敬服したことでありました。
緻密ちみつあたまの人で、工人に似ず高尚な人で、面倒な事務を引き受けて整理してくれましたから、誰すとなく、玉山氏を先生派の中心人物のようにしている処から、同氏宅を仮事務所に
しかし、この不動三尊をまとめ上げるには容易なことではなく、三、四年の歳月はっていて、私の年齢も、もう十六、七になっている。話しではいかにも速いがあたまや腕はそう速く進むものでない。