能代のしろ)” の例文
其處そこふるちよツけた能代のしろぜんわんぬり嬰兒あかんぼがしたか、ときたならしいが、さすがに味噌汁みそしるが、ぷんとすきはらをそゝつてにほふ。
二た面 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
春慶塗しゅんけいぬりのことについては秋田の産物を語る時に既に記しましたが、日本ではこの高山のと、前に記した能代のしろのものとが双璧そうへきであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
机の上には二、三の雑誌、硯箱すずりばこ能代のしろ塗りの黄いろい木地の木目が出ているもの、そしてそこに社の原稿紙らしい紙が春風に吹かれている。
少女病 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ことに電線が邪魔になる位な巨大な紙張りの人形を作り、それを日中からかつぎまわるなどは秋田能代のしろにも新潟にも宇都宮にもないことである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
羽後うご能代のしろの雑誌『俳星』は第二巻第一号を出せり。為山いざんの表紙模様はふきの林に牛を追ふ意匠斬新ざんしんにしてしかも模様化したる処古雅、妙いふべからず。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
九月二十三日 秋田より能代のしろへ行く。『ホトトギス』六百号記念能代大会。金勇倶楽部。竹田旅館泊。
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
奥羽線も、花輪線もない時代だから、一日十里を、テクテク歩いて能代のしろから秋田、それから八郎潟を舟で縦断したのだが、能代の浜で大変な騒ぎにぶつかってしまった。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
新九郎はその時能代のしろ地方を巡視していて留守であったが、帰ってきてその事情を聞くと
蕗問答 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
能代のしろの膳には、徳利とッくりはかまをはいて、児戯ままごとみたいな香味やくみの皿と、木皿に散蓮華ちりれんげが添えて置いてあッて、猪口ちょく黄金水おうごんすいには、桜花さくらはなびらが二枚散ッた画と、端に吉里と仮名で書いたのが
今戸心中 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
お着かへなさいましと言ふ、帶まきつけて風の透く處へゆけば、妻は能代のしろの膳のはげかゝりて足はよろめく古物に、お前の好きな冷奴ひやゝつこにしましたとて小丼に豆腐を浮かせて青紫蘇の香たかく持出せば
にごりえ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
新しい能代のしろ膳立ぜんだてをして、ちゃんと待っていた、さしみに、茶碗、煮肴にざかなに、酢のもの、——愛吉は、ぐぐぐと咽喉を鳴らしたが、はてな、この辺で。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
出雲いずもの人は無暗むやみに多く作る癖ありて、京都の人の投書は四、五十句より多からず。大阪の人の用紙には大阪紙ととなふるきめ粗き紙多く、能代のしろ羽後うご)の人は必ず馬鹿に光沢多き紙を用ゐる。
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
能代のしろ湊の眠流しは、ことに目ざましいものであったという。高さは三丈四丈、横幅は二丈、屋形やかた人形さまざまの巧みを尽し、ろうを引いた紙で五彩を色どり、年々新を争うて入費を惜しまなかった。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
角館かくのだてでも作るが、もう生産が薄い。漆器は能代のしろに名を奪われている。
思い出す職人 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
その頃奥羽線おううせんはまだ開通しなかったので、秋田から東京へ出るためには、能代のしろ、大館を経て青森に廻り、東北線へ乗換のりかえて、グルリと大廻りに、三十何時間を費して上野へ着かなければなりません。
お着かへなさいましと言ふ、帯まきつけて風のく処へゆけば、妻は能代のしろの膳のはげかかりて足はよろめく古物に、お前の好きな冷奴ひややつこにしましたとて小丼こどんぶりに豆腐を浮かせて青紫蘇のたかく持出せば
にごりえ (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
歩行あるいたり、はて胡坐あぐらかいて能代のしろの膳の低いのを、毛脛けずね引挟ひっぱさむがごとくにして、紫蘇しその実に糖蝦あみ塩辛しおから、畳みいわしを小皿にならべて菜ッ葉の漬物うずたかく、白々と立つ粥の湯気の中に、真赤まっかな顔をして
葛飾砂子 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
能代のしろ漆器しっきはいつもその一つであります。「秋田春慶あきたしゅんけい」とも呼ばれていてひのき柾目まさめを素地にし、幾回かこれにうるしを塗って、なおかつ柾目の見えるのを誇りとします。透明な黄味を帯びた塗であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
羽後うご能代のしろ方公ほうこう手紙をよこしてその中にいふ
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)