日和見ひよりみ)” の例文
……だから折衷主義を「日和見ひよりみ主義」というのである……ほぼ間違いなく予定日数を約束することもできて、汽船より安い賃銀で
黒船前後 (新字新仮名) / 服部之総(著)
それもここ二、三年は何とか日和見ひよりみ的態度で糊塗ことして来たが、いまや急なる風雲はもう一日もそれをゆるさなくなって来たのであった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
みんな日和見ひよりみ主義であります。みんな「臆病な苦労」をしています。けれども、私たちは、それを決定的な汚点だとは、ちっとも思いません。
自信の無さ (新字新仮名) / 太宰治(著)
私たちは、どんな裏切者が出たり、どんな日和見ひよりみ主義者が出ても、正しい線はそれらの中を赤く太く明確に一線を引いていることを確信した。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
薄っぺらの、雷同の、人気取りの、おたいこ持ちの、日和見ひよりみの、風吹き次第の、小股すくいの、あやつりの、小人雑輩の、紛々擾々ふんぷんじょうじょうたる中へ
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
一般の藩主や藩臣にいたつては、まつたく日和見ひよりみ主義の小人物ばかりであつた。卑怯な人びとであつた。
これを戦争以来の欧米諸国にみなぎる急激な思想の推移に比べると日本人の生活は甚だしく微温な、退屈な、現状維持的な、日和見ひよりみ的な、弛緩した外貌を呈しております。
三面一体の生活へ (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
巧みな日和見ひよりみだと言われてるクンツは、おごそかに空を見調べて——(彼もまたシュルツと同じく、自分らの小さな土地の晴れ晴れとした景色けしきをクリストフに見せたかったのである)
信西入道とても日和見ひよりみの横着者である。つまりがなんらかの方法でかの頼長の鼻をくじいてさえしまえば、余の人びとは手の裏をかえしたようにこちらの味方になるのは見え透いている。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
九仭きゅうじんの功を一簣いっきく。なあ、そのままずらかりゃ怪我あねえのに、凝っては思案に何とやら、与惣公と化込ばけこんで一、二日日和見ひよりみすべえとしゃれたのが破滅の因、のう勘、匹夫ひっぷ浅智慧あさぢえ、はっはっは。
そして、どっちが得だか日和見ひよりみをしているのさ。
これへ、秋月寂心の兵数千も味方にさんじ、日和見ひよりみだった深堀、龍造寺、相良さがら、杉、富光とみみつなどの小武族も、ぞくぞく陣へとうじて来る。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何より「僚友会」のような見せかけの味方——右翼日和見ひよりみ主義者と闘って行かなければならぬ。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
日和見ひよりみ、そのうちに芥川賞素通すどおりして、拙稿返送という憂目、再三ならずございました。
創生記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
それで、日和見ひよりみの全国の大名どもは、朝廷側についてしまったのであった。
「そうよな。ま、当分日和見ひよりみだ」
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「そんなものを、おまえは初めから計算に入れていたのか。……あらまし、かれらは日和見ひよりみ主義。そう見ておれば間違いはない」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私は、それを極左的だというのは、卑怯ひきょうな右翼日和見ひよりみ主義者が自分の実践上での敗北主義をゴマ化すために、相手に投げつける言葉でしかないと、須山に云った。須山は「そうだ!」と云った。
党生活者 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
「その佐々木は、くにこの瀬田攻めに参加しておるはずの者。またも日和見ひよりみかもしれん。元々、風上にはおけぬやつだ。あてにはするな」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何のかのと、例外なく支障をならべたり、日延べを策したり。……それをもってみるも、なお首鼠しゅそ両端の日和見ひよりみがいかに多いかがわかりますて
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
詐謀さぼう日和見ひよりみの偽装でこれまでようやく通って来た老臣たちも、すわと怖れをなし、あわれ主家は主家、彼らは彼ら、一夜のうちに御着を捨てて
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
思うに、ここの味方内から離反者が簇出ぞくしゅつしたばかりでなく、せつせんいったいにわたる日和見ひよりみ的な武族もまた
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかしとうぶん、人穴城ひとあなじょう日和見ひよりみでいるがいい、さいわいに、可児才蔵かにさいぞうどのも、これにあることだから、伊那丸がたがみじんになるまで、一こんむといたそう
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本政府の日和見ひよりみから出たケチくさい応急策などよりは、ずっと以前に熟慮もして書き始めたつもりである。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いまもって、ふんべつもつかず迷っていた者、日和見ひよりみでいたやから、野伏、半農、そうした者は多かったらしい。みなサビ刀やボロ具足に、身なりの恰好をつけて
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここでも、日和見ひよりみがつづいた。が、秀吉の催促、濃尾近界の戦雲の推移は、もうそれをゆるさなくなった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上杉家の外交も、その二つを目標にしながら、しかも双方へ、不即不離つかずはなれず日和見ひよりみ主義を取っています。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同時に、地方武士から在国の間でも、これまでの日和見ひよりみ主義や対岸の火災視はゆるされず、即座に
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「御当家の立場は、もはやいつまで、日和見ひよりみをゆるすものではありません。いまや毛利どのに組すか、羽柴どのと盟約あるか、二つに一つを選ばねばならぬときに迫っています」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
九代を通じての北条氏の恩顧をわすれたか、日和見ひよりみ武士、忘恩のと、つばしてののしる。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日和見ひよりみの秀秋の陣へ、誘い鉄砲が浴びせられた。——その時である。
大谷刑部 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日和見ひよりみ者の打算、それなど、功というには当りますまい」
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)