しりぞ)” の例文
私はいつになく、この無二の親友の好意をしりぞけたのだった。いくら五ヶ年の親友だって、こればかりは打ち明けかねるというものだ。
柿色の紙風船 (新字新仮名) / 海野十三(著)
火を求むる幼な児の要求を、無下むげに荒々しくしりぞけた女は、いきなり頭上の鉄輪をはずし、あわてて蝋燭の火をかき消してしまいました。
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
子供を預けて再縁をせよと云う親の勧めや又外から降るように来る縁談をしりぞけて、娘を連れたまま、向島むこうじまへ別居することになりました。
ある恋の話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
改革は一瀉千里いっしゃせんりの勢を以て進めり。すべての障碍を打破りて進めり。抵抗者は罰せられ、異論者はしりぞけられ、不熱心者は遠ざけらる。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
どこまでもそれに付け込んで彼女の名誉や生命にまで関渉かんしょうせんとするときには、どっこい、それは不可いかんと毅然としてこれをしりぞける。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
「異教徒や野蠻な人種は、そんな教へを、今も持つてゐるでせう。だけど、基督教徒や文明國の人たちは、そんなものをしりぞけるのよ。」
「おれにそんな事ができるものか」と兄は一口ひとくちしりぞけた。兄の腹の中には、世の中でこれから仕事をしようという気がちていた。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「将軍様ご大病、命旦夕! ご他界は知れている! その際参殿、電光石火に、将軍様ご遺言を質として西丸様をしりぞけ参らせ……」
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
手を懐中ふところに暖めたとあっては、蕎麦屋そばやの、もり二杯の小婢の、ぼろ前垂まえだれの下に手首を突込むのと軌を一にする、と云ってしりぞけた。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
直ちに不自然としてしりぞけることはできぬ。しかしまた爪先の利用はこの踊りにおいて極点に達する。これ以上に出る余地はない。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
春陽堂新支配人磯部節治君の強硬な勧誘をしりぞけることができず、その取捨を一任する約束で、同氏の好意にむくいるほかはなかつたのである。
「花問答」後記 (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
自分は今日まで一閑斎の恩義に感じて檜垣衆の乞いをしりぞけて来たけれども、しかし昨今の筑摩家の無為無能には愛憎あいそが盡きた。
しりぞけて対馬守は眼鏡をかけ直すと、静かに再び書見に向った。——読みかけていた一書は蕃書取調所ばんしょとりしらべじょに命じて訳述させた海外事情通覧である。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
神代の物語などが歴史的事実を記したものでないということから、それを無価値のものとしてしりぞけるのは、大なる誤である。
しりぞけやうとしてゐる習俗が、自分と云ふものゝ隅々にまで喰ひ込んで邪魔をするのだと云ふ自覚は、どんな絶望を彼女に与へたか? 彼女は
惑ひ (新字旧仮名) / 伊藤野枝(著)
ここにおいて蕪村は複雑的美を捉え来たりて俳句に新生命を与えたり。彼は和歌の簡単をしりぞけて唐詩の複雑を借り来たれり。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
かくの如き人は蘭軒伝を見ても、只山陽茶山の側面観をのみ其中に求むるであらう。わたくしは敢て成心としてこれをしりぞける。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
感情をあながちにしりぞけるのではない。女が唯一の頼みとしていた感情は、いわば元始的の偏狭へんきょうと、歴史的の盲動とで海綿状に乱れた物であった。
私の貞操観 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
瑞見に言わせると、今度江戸へ出て来て見ても、水戸の御隠居はじめ大老と意見の合わないものはすべてしりぞけられている。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
彼がしりぞけているのは狂言であり偏執であり成心せいしんであり盲従であって、求めているのは冷静な客観の自由であり、公平な立会人たる権利なのである。
従って、一、二回聴いて飽きるレコードをしりぞけて、十回百回聴いて飽くことを知らないレコードを挙げるようにした。
初めには裁いたものをもゆるし、しりぞけたものをもり、曖昧あいまいなる内容は明確となり、しだいに深く、大きく、かつ高くなり、その終わりに近きものは
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
そして絶對に性の欲求をしりぞけてゐる。のみならず神に對して祈る聲は持つてゐても、人に對しては聲を鎖してゐる。
修道院の秋 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
然るに今日島崎氏の詩をしりぞけて既にすでに陳腐の域に墜ちたものだといふ説がある、果してその言の如くであらうか。
新しき声 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
どうぞ私のこの嘆願をしりぞけないで下さい。どうぞあなたの秘密をわたくしにお洩らし下さい。あなたにはもうなんのお入り用もないではありませんか。
他の事は何も彼もなげうち捨てて南無阿弥陀仏一点張り、唱名三昧に二六時中を過したというのではなく、後世からは余業雑業よごうざつごうしりぞけてしまうようなことにも
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
こうこたえて、所司代の申出をしりぞけてしまったのである。酒井は、どうすることもできないで、自らそくばくの金を献上して、御内膳の資に供えたという。
にらみ鯛 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
又或ものは誘惑に負けずに我々自身を守るであらう。しかし我々は一生を通じて悪魔と問答をしないこともあるのである。クリストは第一にパンをしりぞけた。
西方の人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
故に前にも述べたとおり己らの荘園からして全然地頭をしりぞけようとはもはや試みぬかわり、それらの武人らに頼んで、取れるだけの年貢をとるようにする。
セルギウスは聖者らしく振舞ふ事を、不断しりぞけてはゐるが、心の底では自分でも聖者だと思つてゐるのである。
○儲けるを知つて遣ふを知らず、しりぞくべし。遣ふを知つて儲けるを知らず、是亦斥くべし。さらば何とかすべき。儲けてしかして遣へとは、儲けぬ人の言なり。
青眼白頭 (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
なぜならこれによって得られる満足を表わす面積は、この交換をしりぞけるときに得られる満足を表わす面積より大であるから。だがこれだけの説明では足りない。
音楽家として独唱会をして死ぬのは本望です、といって、三浦博士の勧告をしりぞけたということも話した。
三浦環のプロフィール (新字新仮名) / 吉本明光(著)
何事よりも自然への帰依が尊重せられねばならぬ。私たちは人智を拘束するすべての態度をしりぞけてよい。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
しかし、そうやって獲得された意味が、たちまち作品のなかで疑われ、しりぞけられている。そこで、精神的な意味づけを求めようとすることが不可能となってしまう。
ただ不可能なもののうちにあつてのみそれは得意であり、可能なものを軽蔑してしりぞけるやうに見えた。
ゲーテに於ける自然と歴史 (新字旧仮名) / 三木清(著)
けれども未来派の傾向を全然しりぞけらるべきものだと主張する人に対しては、私は以上の見地からこの派の傾向の可能性を申し出ることが出来はしないかと思っている。
惜みなく愛は奪う (新字新仮名) / 有島武郎(著)
彼が一本一本さがしもとめてそれをしりぞけているあいだに、彼の友だちはそれぞれの仕事に老い死んで、しだいに彼から欠けおちたが、彼は少しも年寄りにならなかった。
一日、古書を渉猟しょうりょう中、ふと、ある疑いにとらわれた。今迄、全然考えたこともなかった疑だけに、初めは、邪神セットの誘惑ではないかと思って、それをしりぞけようとした。
セトナ皇子(仮題) (新字新仮名) / 中島敦(著)
私はそれをしりぞけて、自分の欲する儘に振舞ふこと、例へば何処かの部屋の隅にでも一人寝るといふ様な我儘を言ふだけの親しみをそれらの人達に対して持つて居なかつた。
世の中へ (新字旧仮名) / 加能作次郎(著)
禅宗の和尚たちはこれを怪奇としてしりぞけず、むしろ意味ありげに語り伝えるのが普通であった。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
石田三成等の纔者ざんしゃのためにしりぞけられて蟄居ちっきょしていた加藤清正は、地震と見るや足軽を伴れて伏見城にかけつけ、城の内外の警衛に当ったので、秀吉の勘気も解けたのであった。
日本天変地異記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
英国主権の悲しさには王女は王宮内に絶大な権力をふるっているこの厚顔な英国駐在官の無礼な恋を無下にしりぞけられることもならず、当惑しつつも柳に風と受け流していられた。
ナリン殿下への回想 (新字新仮名) / 橘外男(著)
病む子を遙々はる/″\見舞はうとして出立の支度を整へた遠い故郷の囲炉裏端いろりばたで、真赤に怒つてゐるのならまだしも、親の情をしりぞけた子の電文を打黙つて読んでゐる父のさびしい顔が
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
あたかも凱旋将軍を迎える如くに争い集まる書肆しょしの要求を無下むげしりぞける事も出来なかった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
私達の友人は既に、彼の本性にかなはないすべての物を脱ぎ棄て、すべての物をしりぞけた。
私達の友人は既に、彼の本性にかなはないすべての物を脱ぎ棄て、すべての物をしりぞけた。
我が一九二二年:01 序 (新字旧仮名) / 生田長江(著)
いっそうくわしく調べもしないではじめからしりぞけられるはずはない、と思いました。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
仮りにそれが真情に発し、そして俗態をしりぞけて、ものの数ともしないというものであるならば、如何なる書を、いかに学んだとしても、決して模倣に終るようなことはないと思われる。
一茶の書 (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
科学的知識の進歩した結果として、科学的根拠の明らかでない云い伝えは大概他の宗教的迷信と同格に取扱われて、少なくも本当の意味での知識的階級の人からはしりぞけられてしまった。
厄年と etc. (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)