愛惜あいじゃく)” の例文
が、すくなからず愛惜あいじゃくの念を生じたのは、おなじ麹町こうじまちだが、土手三番町どてさんばんちょうすまった頃であった。春も深く、やがて梅雨つゆも近かった。……庭に柿の老樹が一株。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その作たる、われながら見とれるほどの出来と見ましたけれど、白雲はそれに愛惜あいじゃくするのいとまを与えずに、早くもここを出立するの用意を整えてしまい
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
紫のひもを以てもとどりうのが、当時の官吏の頭飾とうしょくで、優が何時までその髻を愛惜あいじゃくしたかわからない。人はあるいは抽斎の子供が何時斬髪したかを問うことをもちいぬというかも知れない。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
ただ、幸いにしてこのまちの川の水は、いっさいの反感に打勝つほど、強い愛惜あいじゃくを自分の心に喚起してくれるのである。松江の川についてはまた、この稿を次ぐ機会を待って語ろうと思う。
松江印象記 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それでも旅から旅へうつる瞬間には、どうしてもこの哀愁をのがれることができない。哀愁に伴うて起る愛惜あいじゃくの念が、流転るてんきわまりなき人生に糸目をつける。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
あれ、かしこに母君ましますぞや。愛惜あいじゃくの一念のみは、魔界のちりにも曇りはせねば、我が袖、鏡と御覧ぜよ。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それは平井氏も、池田氏も、戴曼公の遺品を愛惜あいじゃくする縁故があるからである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
心着けば土饅頭どまんじゅうのいまだ新らしく見ゆるにぞ、激しく往時を追懐して、無念、愛惜あいじゃく、絶望、悲惨、そのひとつだもなおよく人を殺すに足る、いろいろの感情に胸をうたれつ。
琵琶伝 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
たとえ祖先伝来の爵位と家産を失うとも、この書物を失うには忍びないというのが駒井の愛惜あいじゃくでした。そうして、それをこの船まで持込んだことに於ては、今でも悔いてはいないのです。
同時に、愛惜あいじゃくの念に堪えない。ものあわれな女が、一切食われ一切食われ、木魚におさひしがれた、……その手提に見入っていたが、腹のすいたおおかみのように庫裡へ首を突込つっこんでいていものか。
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
あれはもう忌明いみあけだ、思い出せば不憫ふびんと思いやられぬことはないが、いつまでも愛惜あいじゃくを追うのは、それ、冥路よみじのさわりというものでな、今では、さっぱりとあきらめている、いまさら思い出して
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
のみを振り上げながら、一種の愛惜あいじゃく未練みれん——或いは別な意味での尊重に対する観念を起させたと見えて、金槌を振り上げたなりで、ずいぶん長いことの間、その悪女像を見つめていたのですが
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
咽喉のどを突かれてでも、居はしまいか、鳩尾みずおちったあとでもあるまいか、ふと愛惜あいじゃくの念さかんに、のぞみの糸にすがりついたから、危ぶんで、七兵衛は胸がとどろいて、慈悲の外何の色をも交えぬおいまなこふさいだ。
葛飾砂子 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)