堀割ほりわり)” の例文
長吉ちやうきち仕方しかたなしにだ左へ左へと、いゝかげんにれてくと蔵造くらづくりの問屋らしい商家しやうかのつゞいた同じやうな堀割ほりわりの岸に二度も出た。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
和歌山県の方へ大阪から続いた国道です。大小路の西の堀割ほりわりに掛つた吾妻橋あづまばしを渡ると、其処そこには南海鉄道の停車場があるのです。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
わずかに堀割ほりわりやどぶ川の水を利用して、ようやく二十二、三か所ぐらいは消しとめたそうですが、それ以上にはもう力がおよばなかったのです。
大震火災記 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
わたしは二本の木によせかけておいた楽器がっきを取り上げて、堀割ほりわりのほうに背中せなかを向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。
「一萬兩の隱し場所でございますよ。五年の間天井裏から床下まで——いや材木置場から堀割ほりわりの中まで調べてないとすると、あと搜し殘したのは何處でせう」
「随分ね」と云ひながら、一間ばかり、ずん/\さきつて仕舞つた。三四郎は立ち留つた儘、もう一遍※ニスの堀割ほりわりを眺めした。さきへ抜けた女は、此時振り返つた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
大分おそうなったが如何どうだろうと云うと、主人が気をかして屋根舟を用意し、七、八人の客を乗せて、六軒堀の川岸かしから市中の川、すなわ堀割ほりわりを通り、行く/\成島なるしま柳橋やなぎばしからあが
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
アシは人間をよせつけないかわりに、ほかのたくさんのき物にとっては、絶好ぜっこうのかくれ場所となるのです。アシのあいだには、静かなみどりの水をたたえた、小さな池や堀割ほりわりがあります。
堀割ほりわり丁度ちやうど真昼まひる引汐ひきしほ真黒まつくろきたない泥土でいどそこを見せてゐる上に、四月のあたゝかい日光に照付てりつけられて、溝泥どぶどろ臭気しうきさかんに発散してる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
南さんの家のある所はさかひの街ではなく向村むかふむらと云ふのですが、それはいくらも遠い所ではなく、ほんの堀割ほりわり一つで街と別になつて居る村なのです。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
馬に引かれた小舟こぶねは、そろそろときしをはなれて、堀割ほりわりしずかな波を切ってすべって行った。両側りょうがわには木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
堀割ほりわりづたいに曳舟通ひきふねどおりからぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先ゆくさきの分らないほど迂回うかいした小径こみち三囲稲荷みめぐりいなりの横手をめぐって土手へと通じている。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
わたしはここで、どうして白鳥号に乗って堀割ほりわりをこいでいたミリガン夫人ふじんとアーサに出会ったか、それからわたしたちの見たこと、したことについてくわしく話した。
堀割ほりわりづたひに曳舟通ひきふねどほりからぐさま左へまがると、土地のものでなければ行先ゆくさきわからないほど迂囘うくわいした小径こみち三囲稲荷みめぐりいなり横手よこてめぐつて土手どてへと通じてゐる。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
この辺はもう春といっても汚い鱗葺こけらぶきの屋根の上にあかるく日があたっているというばかりで、沈滞した堀割ほりわりの水がうららかな青空の色をそのままに映している曳舟通ひきふねどおり。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
池かと思うほど静止した堀割ほりわりの水は河岸通かしどおりに続く格子戸づくりの二階家から、正面に見える古風な忍返しのびがえしをつけた黒板塀の影までをはっきり映している。丁度汐時しおどきであろう。
深川の唄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
それを越してかすみせき日比谷ひびやまるうちを見晴す景色と、芝公園しばこうえんの森に対して品川湾しながわわんの一部と、また眼の下なる汐留しおどめ堀割ほりわりから引続いて、お浜御殿はまごてんの深い木立こだちと城門の白壁を望む景色とは
銀座 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
午後ひるすぎから亀井戸かめいど竜眼寺りゅうがんじの書院で俳諧はいかい運座うんざがあるというので、蘿月らげつはその日の午前に訪ねて来た長吉と茶漬ちゃづけをすましたのち小梅こうめ住居すまいから押上おしあげ堀割ほりわり柳島やなぎしまの方へと連れだって話しながら歩いた。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
堀割ほりわり散歩さんぽ
偏奇館吟草 (新字旧仮名) / 永井荷風永井壮吉(著)