因幡いなば)” の例文
つまり……毛利方から提示して来た条件というのは、この際、媾和こうわするならば、備中びっちゅう備後びんご美作みまさか因幡いなば伯耆ほうきの五ヵ国を割譲かつじょうしよう。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二十余年前まで但馬たじま因幡いなば地方で馬極めて稀なり、五歳ばかりの児に馬を知るやと問うと、顔を長く四疋よつあしと尾あり人を乗せると答う。
依つて教えた通りにしましたから、その身はもとの通りになりました。これが因幡いなばの白兎というものです。今では兎神といつております。
因幡いなばの迷信としてはトウビョウである。そのトウビョウは芸州げいしゅうのとは違い、人狐に近い方で、手の爪が二重になって、一手に十ついている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
ここははや因幡いなばの国で、池田氏が居を築きしところ、惜しくも松江のような城を既に失いましたが、二、三の武家屋敷の門構えが昔の勢いを語ります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この日を作始めという例は信濃しなのにも石見いわみにもある。丹後たんご因幡いなばで春亥の子というのも、この二月始めの亥の日であって、共に田畠に出て耕作のまねをした。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
麻続王が配流はいるされたという記録は、書紀には因幡いなばとあり、常陸風土記には行方郡板来なめかたのこおりいたく村としてあり、この歌によれば伊勢だから、配流地はまちまちである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
もつと古い傳説を、傳説といふよりも古い神話の殘つた地方を、松林と砂山の多い因幡いなばの海岸に見つけることも出來た。旅の心は白兎の停車場に至つて驚く。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「丹後の国をふり出しに、但馬たじま因幡いなば播磨はりま摂津せっつと、打って廻りましてござりまして……」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「それがあるから不思議だ、まず古いところでは、古事記にある因幡いなばの白兎の例を見給え」
ほど近いお上屋敷へ青山因幡いなば殿しんがりが繰り込んでしまうと、知らぬが仏でいい気なもの
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
紀伊が奥勤おくづとめをしてゐると、元和げんな三年に振姫が伊達忠宗だてたゞむねしたので、紀伊も輿入こしいれの供をした。此間に紀伊の兄清長は流浪して、因幡いなば鳥取に往つてゐて、朽木宣綱くつきのぶつなむすめの腹に初子が出来た。
椙原品 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その八十神やそがみたちは、因幡いなばの国に、八上媛やがみひめという美しい女の人がいると聞き、みんなてんでんに、自分のおよめにもらおうと思って、一同でつれだって、はるばる因幡へ出かけて行きました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
因幡いなばの白兎
未刊童謡 (新字旧仮名) / 野口雨情(著)
総軍十万といわれ、その旗幟を国別に見ると、尾張、美濃、伊勢、丹後、若狭わかさ因幡いなば、越前、加賀、能登のとの九ヵ国にわたっている。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この事実は丹波の多紀たき氷上ひかみ地方、あるいは因幡いなばなどに何々島という特殊部落があり、その島は川荒によって作り出されたる川原の新地であるのと多少の相似がある。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
天平宝字三年春正月一日、因幡いなば国庁に於て、国司の大伴家持が国府の属僚郡司等にあえした時の歌で、家持は二年六月に因幡守に任ぜられた。「新しき」はアラタシキである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
追つて因幡いなばの國に越えて行き、丹波の國・但馬の國に行き、東の方に追い𢌞つて近江の國に至り、美濃の國に越え、尾張の國から傳わつて信濃の國に追い、遂にこしの國に行つて
当時の藩主池田越前守茂政いけだゑちぜんのかみもちまさの家老に、伊木若狭いぎわかさと云ふ尊王家があつて、かねて水戸の香川敬三かがはけいざう因幡いなば河田左久馬かはたさくま長門ながと桂小五郎かつらこごらう等を泊らせて置いた位であるので、翌年明治元年正月に
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
修験者崩れの火柱ほぼしら夜叉丸、浪人で悪の紫紐丹左衛門、女勘助に鼠小僧外伝、そこへ因幡いなば小僧新助を加えて、天明の六人白浪といい、後世にまでもうたわれた盗賊、その中の外伝と新助とが
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
大鷹おおたかはかしこまって、その鳥のあとをどこまでも追っかけて、紀伊国きいのくに播磨国はりまのくにへとくだって行き、そこから因幡いなば丹波たんば但馬たじまをかけまわった後、こんどは東の方へまわって、近江おうみから美濃みの
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
因幡いなばの國境を離れて伯耆はうきに入つたころは、また夕立がやつて來た。暗い空、黒い日本海。車窓のガラスに映る水平線のかなたには僅に空の晴れたところも望まれたが、やがて海へも雨が來た。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
山陰道さんいんどう丹波たんば丹後たんご但馬たじま因幡いなば伯耆ほうき出雲いずも石見いわみの七ヵ国でこれに隠岐おきの島が加わります。県は主として鳥取県と島根県とでありますが、東寄りの国々は京都府や兵庫県の一部を占めます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
その形、狐に似て色白く、尾は裂けていると申す。つまり四国の犬神、出雲いずも人狐にんこ因幡いなばのトウビョウと同一の迷信である。聞くところによるに、一夜のうちに蚕児がなくなっていることがある。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
前に述べた亀が諸獣を紿あざむいた話に似たのはわが邦にも『古事記』に因幡いなば素兎しろうさぎわにを欺き海を渡った話がある、この話の類譚や起原は正月十五日か二月一日の『日本及日本人』で説くつもりである。
秀吉は新城にくつろくいとまもなく、またすぐ軍をすすめて、因幡いなば伯耆ほうきの国境に転戦した。飽くまでも積極的な秀吉の日々夜々であった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その後気を着けて見ると、自分の生地播磨神崎かんざき郡香呂村などもこれらしい。因幡いなば気高けたか郡福富村の高路、長門阿武あぶ紫福しぶき村の字行露も「コ」の字を澄んでいるが同様であろうか。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
お讓り申し上げたわけは、その大勢の神がみな因幡いなばのヤガミひめと結婚しようという心があつて、一緒に因幡いなばに行きました。時に大國主の命に袋を負わせ從者として連れて行きました。
その他薩摩、長門、因幡いなば備前びぜん等の諸藩からも役人が列席している。
堺事件 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
遠く伯耆ほうき因幡いなばにもおよんで「五郎八ごろはち茶碗」ともいわれる。古いものは主として緑青か白の失透釉を用いたが、後には宝珠ほうしゅの玉の模様を入れ、色も黄色のが多い。時として無地天目てんもくのものも見かける。
雲石紀行 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
占領地の内政やら、城郭の大改築、軍の再整備などがすむと——七月の二十日、御著の官兵衛の麾下きかを誘い、総軍、因幡いなば伯耆ほうきへ入った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
(ホ)谷方・渡方 因幡いなば八頭やず郡河原村大字谷一ツ木及びわたりひと、この地は大川に接しているから渡は文字通りにも解することができるが、ワダは必ずしも水辺には限らぬ地名である。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
もちろん秀吉の軍がそこへ到るまでには、因幡いなば伯耆ほうきなどに散在する敵の諸砦しょさいを、その前年から、次々と、攻めつぶして行ったものである。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
因幡いなば国にあった話で、少し長たらしいが原文のままを抄出する。
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そのうちに、時ならぬ雷鳴が、因幡いなばから伯耆ほうきざかいの山岳を晦冥かいめいにして鳴りはためいた。山国のいかずちは、都のそれと一つにも思えない。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ダンジ 因幡いなば岩美郡
また、楠木正成には、摂津、和泉の一部と、河内守への叙任じょにんがみられ、また船上山いらい忠勤の名和長年には、因幡いなば伯耆ほうきの両国があたえられた。
「そうか。西国表は、備前びぜん美作みまさか因幡いなばの三ヵ国とも、毛利への万一の備えに、一兵もうごかすなと申しつけたことも、手ちがいなく達しておるか」
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
亀井軍は吉川勢の一面を牽制けんせいするため、天正八年以来、因幡いなばの鹿野城にっていたものである。秀吉はいま、彼をここに見て、以前の口約を思い出した。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
因幡いなば美作みまさか但馬たじま播磨はりまあたりの緑色の斑点帯はんてんたいを、のみの卵でも探すようにしてやっと見つかる山国の一部落だ。宮本武蔵が生れたという土地なのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「むすめも不愍ふびん因幡いなばの所領も惜しと思わば、よくよく御分別あるがよかろう。——御返答は明朝まで相待たん」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
自分は因幡いなば伯耆ほうき出雲いずも石見いわみの兵をひきい、行く行く丹波、但馬たじまの兵も合して、一挙、京畿けいきに進み、本願寺と呼応して直ちに、信長の本拠安土をこう
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
池田、筒井の兵力も一部の参加であったし、因幡いなばの宮部、淡路あわじの仙石なども、特に徴していなかったのである。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一備前、美作みまさか因幡いなばなど、西国表は、一人もうごかさず、大磐石。紀州、泉州へも、昨日、蜂須賀、黒田、生駒、赤松などの人数六、七千も増してやり申した。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
因幡いなばは辺土といえ、いつまた、吉川勢が変をうかがわぬものでもない。後いよいよ守りを固く頼むぞ」
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
因幡いなば但馬たじま播磨はりま、備前の四州にわたる街道の不安をのぞき、その上、幾多の人命を救うことになれば、自分の一命のごときは鴻毛こうもうよりも軽い、まあ明日あしたの夕方までは
宮本武蔵:02 地の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
明智一勢には、軍旅を取りいそぎ、日ならぬうち、但馬たじまより因幡いなばへ入り候え。敵毛利輝元の分国、伯州はくしゅう雲州うんしゅうへも、構えなく乱入に及ばれい。油断あるな、猶予ゆうよあるな。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし敵もふかく企んだ計略、なんで帝の輦輿におめおめわれらの追尾ついびをゆるそうか。こちらが行き着くまでには、杉坂、三日月村もこえて佐用ノ宿から因幡いなばへ出るか、津山を
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
毛利をめぐ衛星えいせいとしては、播州に赤松あかまつ別所べっしょがあり、南部中国には宇喜多うきた、北部の波多野はたの一族などあって、その勢力圏せいりょくけんは、安芸あき周防すおう長門ながと備後びんご備中びっちゅう美作みまさか出雲いずも伯耆ほうき隠岐おき因幡いなば
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)