伊太利亜イタリア)” の例文
何処からいて来たのか、かごをしょった、可愛い伊太利亜イタリア少年が傍にいて、お雪が抱えきれなくなると、背中の籠へ入れさせた。
モルガンお雪 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
伊太利亜イタリア名家のえがける絵のほとんど真黒まくろになりたるを掛けあり。壁の貼紙はりがみは明色、ほとんど白色にして隠起いんきせる模様および金箔きんぱくの装飾を施せり。
四日よつか目は朝より甲板かふばんさふらひき。伊太利亜イタリアの山の色の美しきを見つつ、かの国を君と見歩くゆかりの無くやはありける。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
然るになほ妻を伴ひて久しく伊太利亜イタリアに遊べり。日本人にして家族と共に伊太利亜に遊び得るもの果して幾人かある。ピエール・ロッチは仏国ふつこく海軍の士官たり。
矢立のちび筆 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
わたしは或南伊太利亜イタリア人を知つてゐる。昔の希臘ギリシヤ人の血の通つた或南伊太利亜人である。彼の子供の時、彼の姉が彼にお前は牝牛めうしのやうな眼をしてゐると言つた。
翻訳小品 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
伊太利亜イタリアに三人、英吉利イギリスに四人、独逸ドイツに七人、プロヴァンスに一人、しかして仏蘭西フランスには十四人の多きに達し、さきの高踏派と今の象徴派とに属する者その大部を占む。
海潮音 (新字旧仮名) / 上田敏(著)
この画は伊太利亜イタリアで描いたもので、肩からかけて居る金鎖はマントワ侯の贈り物だという。
大鵬おおとりの形になぞらえた空飛ぶ大きな機械である。十三世紀の伊太利亜イタリアにレオナルド・ダ・ビンチと名を呼んだ不世出の画伯が現われた。すなわち飛行機を作ろうと一生涯苦労された。
大鵬のゆくえ (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
最も想像に困難なのは、豚が自分の平らなせなかを、棒でどしゃっとやられたとき何と感ずるかということだ。さあ、日本語だろうか伊太利亜イタリア語だろうか独乙ドイツ語だろうか英語だろうか。
フランドン農学校の豚 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
また、万一ご落命の節は、葬儀万般弊社が取りはからいまして、第一等の伊太利亜イタリア大理石を墓碑に撰び、お指定の墓地の通風採光よろしき個所にご埋葬申しあげるてはずになっておりまする。
伊太利亜イタリアReggioレツジヨ の町を見つつ過ぐしらじらとせる川原かはらもありて
つゆじも (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
早速さつそく停車場ステエシヨンから遠くない「伊太利亜イタリアホテル」へはひつて行つた。ベデカアで読んで置いた中位ちゆうぐらゐのホテルだ。二日ふつか以上なら下宿なみにすると主婦が言ふ。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
これより先わが身なほ里昂リオン正金しょうきん銀行に勤務中一日公用にてソオン河上かじょう客桟きゃくさん嘲風姉崎ちょうふうあねざき博士を訪ひし事ありしがその折上田先生の伊太利亜イタリアより巴里にきたられしことを聞知りぬ。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
リユウ・デ・ゼコルの通りへ出て大学前の伊太利亜イタリア料理で午餐ひるめしを済ませたのち、地下電車に乗つてユウゴオの旧宅をプラス・デ・ヷスチル街にうた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
レニエーの小説というのは新妻の趣味を解せざる事を悲しみいきどおる男の述懐である。男は日頃伊太利亜イタリアもヴニズの古都を愛していたので新婚旅行をこの都に試みたが新妻は何の趣味をも感じない。
雨瀟瀟 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
伊太利亜イタリアに固有の紅色あり。これ旅行者の一度ひとたびその国土に入るや天然てんねんと芸術との別なく漫然として然も明瞭に認むる所なり。一国の風土は天然と人為とを包合ほうごうして必ずここに固有の色を作らしむ。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
小春こはる治兵衛じへえの情事を語るに最も適したものは大阪の浄瑠璃である。浦里時次郎うらざとときじろうの艶事を伝うるにもっとも適したものは江戸の浄瑠璃である。マスカニの歌劇はかならず伊太利亜イタリア語を以て為されなければなるまい。
十日の菊 (新字新仮名) / 永井荷風(著)