“ぼうかん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
坊間48.1%
傍観29.6%
傍看7.4%
房寛3.7%
望観3.7%
坊官3.7%
暴漢3.7%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
それにつけても遊戯の書は、砲火のむと共に数知れず坊間ぼうかんに現われたのを見てわたくしは鴎外先生の言葉を思い出さねばならなかったのだ。
仮寐の夢 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その証拠には、現代の医学は結核に対して何の権威を持ちません。権威どころか、荒れ狂う姿を呆然として袖手しゅうしゅ傍観ぼうかんして居るという有様です。
人工心臓 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
原来がんらい疱瘡ほうそうを治療する法は、久しく我国には行われずにいた。病が少しく重くなると、尋常の医家は手をつかねて傍看ぼうかんした。そこへ承応じょうおう二年に戴曼公たいまんこうが支那から渡って来て、不治の病をし始めた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
大寧よりかえりて会州かいしゅうに至り、五軍を立てゝ、張玉を中軍に、朱能を左軍に、李彬りひん右軍ゆうぐんに、徐忠じょちゅうを前軍に、降将房寛ぼうかんを後軍に将たらしめ、ようやく南下して京軍けいぐんと相対したり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
夜、燕王、張玉ちょうぎょくを中軍に、朱能しゅのうを左軍に、陳亨ちんこうゆう軍に、丘福きゅうふくを騎兵に将とし、馬歩ばほ十余万、黎明れいめいことごとく河を渡る。南軍の瞿能父子、平安等、房寛ぼうかんの陣をいて之を破る。張玉等これを見て懼色くしょくあり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
ひと余輩よはい所謂いわゆる藩の岸上に立つ者なれば、望観ぼうかんするところ、或は藩中の士族よりも精密ならんと思い、いささかその望観のままをしるしたるのみ。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
ただ岸上がんじょうより望観ぼうかんする者にしてはじめてその精密せいみつなるおもむきを知るべし。
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「いえ、もうそれに控えておりますので」見るとなるほど——縁の西側に、一人の坊官ぼうかんが庭上にかがまっていて、声のかかるのを待っているていである。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
食人鬼しょくじんきのごとくどうもうなる暴漢ぼうかんである、味方は数こそ多いが、筋骨きんこついまだ固まらざる十六歳に満つや満たずの少年たちである、これを思うと
少年連盟 (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)