少しでも朱子学のらちの外に出て、自由に物を考える人は、耶蘇の姿を変じたものとして排撃を受けなくてはならないのである。彼の『草賊前後記そうぞくぜんごき』には、熊沢蕃山をかかる異学の徒としてあげている。