皇甫謐クワウホヒツ)” の例文
紂王は又文王の子の伯邑考といふを烹てあつものとなし、その羹を文王に食せしめたといふことで、西晉の皇甫謐クワウホヒツの『帝王世紀』——『史記正義』の殷本紀の注に引く所に據る——に