“牟子理惑論”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
ぼうしりわくろん | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“牟子理惑論”の解説
『牟子理惑論』(ぼうしりわくろん)とは、仏教の中国伝来当初の後漢代に撰せられたと言われる論書である。理惑論とは、「惑いを理(おさ)める論」の意である。また、古写本等から、本来は『治惑論』であったのを、唐の高宗の諱である治を避諱して『理惑論』になったとする説がある。『弘明集』巻1に収録されている。
作者の牟子は、霊帝崩御後の動乱を避けて交阯に赴き、蒼梧に戻って結婚したが、仕官せず、母の喪にあったのを契機として仏道に志したという。また、老子五千文も兼修し、理惑論を著したという。
本書の成立は、その内容からいって、三国以後のこととされる。ただ、陸澄撰『法論目録』に本書が著録されているので、下限は南朝宋の明帝(在位466年 - 472年)の時期ということとなる。
(出典:Wikipedia)
作者の牟子は、霊帝崩御後の動乱を避けて交阯に赴き、蒼梧に戻って結婚したが、仕官せず、母の喪にあったのを契機として仏道に志したという。また、老子五千文も兼修し、理惑論を著したという。
本書の成立は、その内容からいって、三国以後のこととされる。ただ、陸澄撰『法論目録』に本書が著録されているので、下限は南朝宋の明帝(在位466年 - 472年)の時期ということとなる。
(出典:Wikipedia)