片岡健吉かたおかけんきち)” の例文
一八八〇年(明治十三年)四月十三日、有名な政治家河野広中こうのひろなかと四国の人片岡健吉かたおかけんきちとは、『国会開設允可上願書』を書いて、天皇にさしだすことになった。
当時の有力者板垣退助いたがきたいすけ後藤象二郎ごとうしょうじろう江藤新平えとうしんぺい副島種臣そえじまたねおみ由利公正ゆりこうせいらは、民選議院設立の建白書を、左院に提出し、明治十三年四月には、東北の名士河野広中こうのひろなか、土佐の名士片岡健吉かたおかけんきちの二人は