澆薄ぎょうはく)” の例文
彼によればこの事は当時大宋国においても理解する人が乏しかった。禅宗と称し、またその内に五宗を別つごときは、仏法が澆薄ぎょうはくとなり、「人の参学おろかにして弁道を親切にせざる」がためである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)