演繹式えんえきしき)” の例文
だが決して、私自身の精神を、分析しようなどとは思うても居ぬし、又そんな演繹式えんえきしきな結果なら、して見ぬ先から訣っているような気もするのだから、一向して見るだけの気のりもせなんだのである。
山越しの阿弥陀像の画因 (新字新仮名) / 折口信夫(著)