河上かはのへ)” の例文
それと同じやうな位置の十市皇女といふ方は、自分の夫である所の弘文天皇崩御の後に、伊勢斎宮に参られる、その途で名高い「河上かはのへの五百箇磐群」の歌が——御自分の作ではないが——出来ます。
真間・蘆屋の昔がたり (新字旧仮名) / 折口信夫(著)