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朱楽菅江
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あけらかんこう
ふりがな文庫
“
朱楽菅江
(
あけらかんこう
)” の例文
浮絵は
後年
(
こうねん
)
北斎広重によりて完成せられたる浮世絵風景画の前提と見るべきものなり。天明の初め
四方赤良
(
よものあから
)
、
唐衣橘洲
(
からころもきっしゅう
)
、
朱楽菅江
(
あけらかんこう
)
らの才人江戸に狂歌を復興せしむ。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
狂歌は
卜養
(
ぼくよう
)
貞柳
(
ていりゅう
)
未得
(
みとく
)
らの以後その吟咏に
工
(
たく
)
みなるものなかりしが故か、一時やや
振
(
ふる
)
はず、
安永末年
(
あんえいばつねん
)
朱楽菅江
(
あけらかんこう
)
唐衣橘洲
(
からころもきっしゅう
)
四方赤良
(
よものあから
)
ら青年狂歌師の輩出するを待つて始めて再興せられたり。
江戸芸術論
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
“朱楽菅江”の解説
朱楽 菅江(あけら かんこう、元文5年10月24日(1740年12月12日)? - 寛政10年12月12日(1799年1月17日))は、江戸時代後期の戯作者、狂歌師。大田南畝、唐衣橘洲と共に天明狂歌ブームを築き、狂歌三大家といわれた。本名は山崎景基(後に景貫と改名)、字は道甫、通称は郷助。狂名は朱楽菅江(漢江)、俳号は貫立、号は朱楽館・准南堂・芬陀利華庵、戯作号は朱楽館主人。生年は1738年とも。
(出典:Wikipedia)
朱
常用漢字
中学
部首:⽊
6画
楽
常用漢字
小2
部首:⽊
13画
菅
漢検準1級
部首:⾋
11画
江
常用漢字
中学
部首:⽔
6画
“朱楽”で始まる語句
朱楽管江大人