元和元年大阪夏の陣に、三斎公に従って武功を立てたが、行賞の時思う旨があると云って辞退したので追放せられた。それから寺本氏に改めて、伊勢国いせのくに亀山かめやまって、本多下総守俊次ほんだしもうさのかみとしつぐに仕えた。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)