元宗の子の忠烈王は早く蒙古に質となり、殊に元の世祖忽必烈フビライの女、忽都魯掲里迷失クツルガイミシ(Khutlgaimish)公主をその妃に迎へた關係から、早く辮髮・胡服して得意滿面であつた(17)。
支那人弁髪の歴史 (旧字旧仮名) / 桑原隲蔵(著)