徳川家定は八月二日に、「少々御勝不被遊おんすぐれあそばされず」ということであったが、八日にはたちま薨去こうきょの公報が発せられ、家斉いえなりの孫紀伊宰相慶福よしとみが十三歳で嗣立しりつした。家定の病は虎列拉であったそうである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)