“後深草天皇”の解説
後深草天皇(ごふかくさてんのう、1243年6月28日〈寛元元年6月10日〉)- 1304年8月17日〈嘉元2年7月16日〉)は、日本の第89代天皇(在位:1246年2月16日〈寛元4年1月29日〉- 1260年1月9日〈正元元年11月26日〉)。諱は久仁(ひさひと)。
後嵯峨天皇の皇子。母は中宮・西園寺姞子(大宮院)。北朝(持明院統)かつ今日の皇室の祖。父母が自身より弟の亀山天皇を寵愛し治天の君としたことに不満を抱き、やがて後深草系の北朝と亀山系の南朝(大覚寺統)による対立が生じる端緒となった。『増鏡』などでは内裏焼亡のさいに足が立たなかったなどと書かれている。
(出典:Wikipedia)
後嵯峨天皇の皇子。母は中宮・西園寺姞子(大宮院)。北朝(持明院統)かつ今日の皇室の祖。父母が自身より弟の亀山天皇を寵愛し治天の君としたことに不満を抱き、やがて後深草系の北朝と亀山系の南朝(大覚寺統)による対立が生じる端緒となった。『増鏡』などでは内裏焼亡のさいに足が立たなかったなどと書かれている。
(出典:Wikipedia)
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