(以上は『増鏡』の「おどろのした」の一節による。)天皇後鳥羽は七歳のときに、藤原氏から女御を入れて、結婚している。女御は皇后となり、宜秋門院といっていた。
“宜秋門院(九条任子)”の解説
九条 任子(くじょう たえこ/にんし、承安3年9月23日(1173年10月31日) - 暦仁元年12月28日(1239年2月3日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての后妃、女院。後鳥羽天皇の中宮。父は摂政関白九条兼実。母は中宮職藤原季行の女・兼子。院号は宜秋門院(ぎしゅうもんいん)。法名は清浄智。所生に昇子内親王(春華門院)がいる。
(出典:Wikipedia)
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