“北山宮”の読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
きたやまのみや | 100.0% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“北山宮(自天王)”の解説
自天王(じてんのう、永享12年(1440年)? - 長禄元年12月2日(1457年12月18日))は、室町時代の皇族。南朝の再建を図った後南朝の第2代(『南方紀伝』では第4代)とされるものの定かではない。北山によったので便宜上、北山宮とも称する。地元に伝えられる位牌には北山宮を自天勝公、弟の河野宮を忠義禅定と称している。
なお、世上、禁闕の変の首謀者とされる源尊秀(尊秀王)を自天王に当てる見方があるものの、菅政友は『南山皇胤譜』で「尊秀王ヲ自天王ニ当テシハ誤ナリ」としており、これが常識的な見方となっている。
(出典:Wikipedia)
なお、世上、禁闕の変の首謀者とされる源尊秀(尊秀王)を自天王に当てる見方があるものの、菅政友は『南山皇胤譜』で「尊秀王ヲ自天王ニ当テシハ誤ナリ」としており、これが常識的な見方となっている。
(出典:Wikipedia)