倶知安くっちゃん)” の例文
食料品はもとよりすべての物資は東倶知安くっちゃんから馬の背で運んで来ねばならぬ交通不便のところでした。それが明治三十三年ごろのことです。
小作人への告別 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
倶知安くっちゃんの辺まで来るとまた稲田がある。どこまで行っても稲田は追っかけて来るのである。それでいて楽には米が食えないのが今の日本の国である。
札幌まで (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
仁右衛門の小屋から一町ほど離れて、K村から倶知安くっちゃんに通う道路添みちぞいに、佐藤与十という小作人の小屋があった。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
愚図愚図していると今までのような煮え切らない事はして置かない、この村の巡査でまにあわなければ倶知安くっちゃんからでも頼んで処分するからそう思えともいった。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
夫婦が行き着いたのは国道を十町も倶知安くっちゃんの方に来た左手の岡の上にある村の共同墓地だった。
カインの末裔 (新字新仮名) / 有島武郎(著)