矢島優善をして別に一家いっかをなして自立せしめようということは、前年即ち安政六年のすえから、中丸昌庵なかまるしょうあんが主として勧説した所である。昌庵は抽斎の門人で、多才能弁を以て儕輩せいはいに推されていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)