直臣じきしん)” の例文
同時に一兵たりといたずらに損ずべからざる御直臣じきしんの兵をば、より有為なときに備えておかねばなるまいと愚考いたした次第にござりまする。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「私は原田家の家従です、直臣じきしんにあげられましてからも、自分ではずっと原田家の家従のつもりでおりました」
伏見の直臣じきしんかわからないが、草鞋わらじばきで、太刀を革紐かわひもで背なかに負うた半具足の侍が、武者修行の気のつくまで、黙って立っていたのだった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
水戸のご隠居の直臣じきしんであると聞いては、自失するほど愕いたのも——いや恐怖に襲われたのもあながち無理ではなかった。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夏侯惇かこうじゅん夏侯淵かこうえん曹仁そうじん曹洪そうこうなど直臣じきしん中の直臣は、それぞれ将軍にのぼり、楽進がくしん李典りてん徐晃じょこうなどの勇将はみな校尉に叙せられ、許褚きょちょ典韋てんい都尉といに挙げられた。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかも、その城地の岡崎には、義元の直臣じきしんが派遣されて、領政税務すべてを管理しているし、松平家の譜代の家来は皆、今川家の軍役に、追い使われている状態。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
先帝玄徳からの直臣じきしんや忠良の士もすくなくないとはいえ、遠隔の蛮地で、五十万がかばねと化し、孔明すでにあらずと聞えたら、成都の危うきは、累卵るいらんのごときものがある。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もとよりふたりは共に西山荘に仕え、老公の直臣じきしんとして、刎頸ふんけいまじわりをしていたあいだである。一方が浪人したからといって、急にその友誼ゆうぎに変質を来たすような仲ではない。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひょいと、あぜから仰ぐと、それは彼がこれから今日の大変を今日のうちにも告げ知らせたいと、こうして急ぎつつある意中の人、徳川殿の身内でも、錚々そうそうたる直臣じきしんのひとりだった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのとき、十数名の直臣じきしんたちは、やがて間もなく城を出る主人のおすがたに、さいごの名残を惜しもうものと、目顔で語らい合いながら、打ち揃って、そっと宗治のいる居室の外に居並んだ。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵馬倥偬へいばこうそうの世にかえりみられず、この名誉ある権門たちが、ひどく物に貧しく、その貧しさにいじけて、すこしも、君側の朝臣あそんであり輔弼ほひつ直臣じきしんであるという、高い気凛きりんも誇りも失っているのを
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)