法印ほういん)” の例文
その我慢のみえるお背を、渡りの彼方へ見送りながら、殿でん法印ほういんもふたたびそれに追いすがる気力を土気色な顔に失っていた。
まゆはむしろ険しかった。狭くて高い彼の額の上にある髪は、若い時分から左右に分けられたためしがなかった。法印ほういんか何ぞのように常にうしろで付けられていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
天野源伯が法印ほういんで、幕府の表御番医を勤めていることはまえに書いた。源伯と登の父の保本良庵とは、古くから親しい友人であり、お互いの家族もしげしげ往来していた。
洋服を着て抱え車に乗る、代言人の、わたしの父の家でさえ、毎月晦日みそかそうじがすむと、井戸やおへっついを法印ほういんさんがおがみに来て、ほうろくへ塩を盛り御幣ごへいをたてたりしても
だが、何人なんぴとも、この坊主の前身を、ほんとうに気がついているものはすくなかろう——鉄心庵現住の、大坊主、これこそ、その道では名の通った、島抜けの法印ほういんという、兇悪きょうあくしろものなのだ。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
手ごわいと見てとってか、今度は、高野山から雪曽せつそという人相見の法印ほういんを呼びよせ、端午の節句の当日、家中列座のなかで、源次郎さまの相は野伏乞食の相であると憚りもなくのべさせるという乱暴。
顎十郎捕物帳:10 野伏大名 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
「医者か、八卦はっけか、法印ほういんか——」
そして宮は奥へかくれ、宵の灯の下で、さきに訴人から殿でん法印ほういんをへてお手に入った六波羅密牒の内容を、もいちど検討しているふうであった。
「じつはちと、世相、うりょうべきものを感じまして、後刻には、殿でん法印ほういんどののもとへも伺いたいとぞんじおりまする」
今暁、諸所に蜂起ほうきした宮方の残党なるものも、数では知れたものだった。そしてその元兇も、大塔ノ宮の腹心の者で、いまなお叡山えいざんにいるという、殿でん法印ほういん良忠なることがほぼ分った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
四条のほとりで、安居院あごい法印ほういんからいわれた示唆しさは、今もまだ耳にあって、天来の声ともかたく信じているのであるが、範宴には、いきなり法然の門へ駈けこんで、唐突に上人に会ってみるより
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、縄を解いて放してやれと仰っしゃったのは、たれでもない、和殿がその前夜、男山八幡の石段で、殿でん法印ほういんの身うち岡本坊と共に、暗殺やみうちしようと計って仕損じたわがおあるじ尊氏どのだ」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「大塔ノ宮の候人こうじん殿でん法印ほういん良忠どのがお越しでございますが」
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殿でん法印ほういん良忠をば、ついに捕えましたぞ」
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
僧では、聖護院しょうごいん法印ほういん玄基げんき。ほか数名。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)