常盤ときわ)” の例文
以前からお連添つれそいになっている藤間勘次さんが、藤間静枝の「藤蔭会とういんかい」の第一回に出られた時のことで、日本橋の常盤ときわ倶楽部で御座いました。
平塚明子(らいてう) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
常盤ときわ家を出るとき、餞別せんべつに貰った金が三両あった。そこでわたくしは自分の婚礼の衣装を取出して包み、そっと家をぬけだして質屋へいった。
やぶからし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
僕等ぼくらはもう廣小路ひろこうぢの「常盤ときわ」にあのわんになみなみとつた「おきな」をあぢはふことは出來できない。これは僕等ぼくら下戸仲間げこなかまためにはすくなからぬ損失そんしつである。
しるこ (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
そこで私は思うのであるが、此の老尼こそかの老人雑話に見える三成が息女、舞妓常盤ときわの後身ではなかったのであろう歟。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
食堂は二十間に八間の長方形にて周囲は紅葉流もみじながしの幔幕まんまくを張詰め、天井には牡丹形のこうおう白色はくしょく常盤ときわの緑を点綴てんてつす。
食道楽:秋の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
頭山翁が玄洋社をひっさげて、筑豊の炭田の争奪戦をやらせている頃、福岡随一の大料理屋常盤ときわ館で、偶然にも玄洋社壮士連の大宴会と、反対派の壮士連の大宴会が
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
すっかり素人しろうとふうになったお艶が、身重みおものからだを帯にかくして、常盤ときわ橋の袂にたたずんでいた。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
常盤ときわ樹林の黒ずんだ重苦しい樹帯の層の隙間すきまから梅の新枝がこずえを高く伸び上らせ、鬱金うこん色の髪のやうにそれらを風が吹き乱した。野には青麦が一面によろ/\と揮発性のほのおを立てゝゐた。
(新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
米良は大連の常盤ときわ橋通りのユダヤ人の経営するカバレット・バビロンで、ロシア領事館の書記の支払った奉天ほうてん銀行の贋札にせさつの下で、皺だらけになった支那紙晨報しんぽうを拾い読みしているうちに
地図に出てくる男女 (新字新仮名) / 吉行エイスケ(著)
奥州にいる牛若丸に逢いたくなった母常盤ときわが侍女を一人つれて東へ下る。
山中常盤双紙 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
その後、「万梅」は、公園の中「花やしき」の近くに越して、そのころ「仲見世」に勢力を張っていた牛肉屋の「常盤ときわ」がそのあとをうけついだ。そうして「奥の常盤」という名称で営業をつづけた。
浅草風土記 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
今も常盤ときわ村の内にて那珂川に添いたる地をなべて阿久津と称す。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それも「常盤ときわ」の「しるこ」に匹敵ひつてきするほどの珈琲コーヒーませるカツフエでもあれば、まだ僕等ぼくら仕合しあはせであらう。が、かう珈琲コーヒーむことも現在げんざいではちよつと不可能ふかのうである。
しるこ (旧字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
あおぐ常盤ときわ松平まつだいら——花のお江戸か八百八町——昔にかわる武蔵野の、原には尽きぬ黄金草こがねぐさ——土一升にかね一升、金のる木の植えどころ——百万石も剣菱も、すれちがいゆく日本橋——。
さとの常盤ときわ家には父母と兄や姉たちがいる。わたくしは常盤家の末娘として育って来たが、実の子ではなかった。本当の父は杉守あずさといい、萩原はぎわら宗固派の国学をまなんで、藩校の教官をしていた。
やぶからし (新字新仮名) / 山本周五郎(著)