一益かずます)” の例文
滝川一益かずます、丹羽長秀、明智光秀——そして筒井順慶つついじゅんけいなどの援軍およそ二万が、京都を発して播州へ着いたのは、もう五月の初めだった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
織田家の宿将たる柴田勝家や滝川一益かずますは、心中甚だ平かでない。やがて勝家は、しづたけで秀吉と戦つたが惨敗し、越前の北庄きたのしやうの本城に逃げこみ、遂に滅亡した。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
信長からのお迎えとして、ここまで人数をひいて出向いていた名代役は、林佐渡、滝川一益かずます菅谷すがや九郎右衛門の三重臣であった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「何だ。今となってその説は、それは滝川一益かずますなどが大事を取って申した説で、そちの策は、それに反対であったはずではないか」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「もう何の策などろうか。城外を掘りめぐらす大袈裟おおげさな土木なども中止してよかろう。一益かずます、てきぱきと、かねての計を行え」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また遠くは、上州三国のけんをこえて、越後春日山へ討ち入り、上杉勢の本拠をつくべく、すでに呼応の聯絡れんらくをとっていた滝川一益かずます麾下きかの軍隊へも。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大心院は、信長の妹婿いもうとむこである滝川一益かずますの創建であって、その一益の一族明叔という者が二世に坐っていたのである。
随筆 宮本武蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その寄手の総大将は、信長の嫡子ちゃくし信忠であり、堀久太郎秀政、滝川左近将監一益かずますなどの諸将が、それをたすけていた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彦右衛門一益かずますも、それは伝え聞いていたし、こんどの重大な外交に選ばれて使いした程の者であるから、信長の姿を仰いで、一礼すると、すぐ先にいった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
安土の大軍は、三手にわかれた——一手は、滝川一益かずます、明智光秀、丹羽五郎左衛門などの諸部隊をもって編制され、これは茨木いばらき城の中川瀬兵衛清秀をとりかこむ。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「陣地の通行中、ご警固くだされているのは、滝川一益かずますどののご家臣、飯田千太夫どのであります」
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滝川一益かずますは、思慮ふかい男である。この上は信長の意見を仰いで決するほかあるまいという。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
永禄十年二月には、滝川一益かずますの軍にいて、北国を討伐し、上木うえき、持福、木股きまたなどの城を降し。——十一年には、池田勝政の池田城を陥しいれ、十二年には、丹波へ討入っている。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滝川一益かずます平手汎秀ひらてのりひで、佐久間信盛などを武将として、三千ばかりが城下に着いていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一益かずますの場合は、その動きのつかなかったことも、じょさなければならなかった点は多い。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この急変を今、信長へ報らせに来て、そのまま黙然とひかえていた滝川一益かずますである。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
滝川たきがわ攻めにかかった秀吉ひでよしは、あの無類むるい根気こんきと、熱と、智謀ちぼうをめぐらして、またたくうちに、亀山城かめやまじょうをおとし、国府こうの城をぬき、さらに敵の野陣や海べの軍船をきたてて、一益かずますの本城
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北国きたしょう柴田勝家しばたかついえ盟友めいゆう一益かずます桑名くわなしろあやうしと聞いて、なお残雪のあるとうげけんをこえ、佐久間盛政さくまもりまさ先鋒せんぽうに、上部八風斎かんべはっぷうさい軍師ぐんしにして近江おうみへ乱入し、民家を焼き要害ようがいのとりでをきずいて
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
智恵ちえじまんな一益かずますも、ゆうべは定めしおどろいたろう……」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一益かずますが、気に病むのを、前田与十郎よじゅうろうは、笑って、説明した。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)