諦観あきらめ)” の例文
旧字:諦觀
ですから、死への諦観あきらめは、当然できておらねばならぬわけです。因縁ということくらい、十分に考えておらねばならぬわけです。ところが、事実は全くこれと正反対です。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
身体の健全な人には、薬の必要がないように、一切をすっかり諦観あきらめた心の健全な人ならば、何も苦しんでわざわざ心の薬を求める必要はありません。いま仮に、東京から京都へ汽車で行くとします。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)