義方よしかた)” の例文
忠琢は帰山かへりやま氏をめとつて四子六女を挙げた。長男伊之助の生れたのは、文政九年忠琢三十歳の時である。伊之助、名は義淳よしあつ、後義方よしかたと改めた。経を安積艮斎に学び、又筆札を善くし、章斎と号した。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)