東京で治療を受けていた医者は神田神保町かんだじんぼうちょうに暢春医院の札を出していた馬島永徳という学士であった。暢春医院の庭には池があって、夏の末には紅白の蓮の花がさいていた。
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)