「応」と云うと日置正次は、調度掛にかけてある陽の弓、七尺五寸、叢重籐むらしげどう、その真中まんなかをムズと握り、白磨箆鳴鏑しろみがきべらなりかぶらを掴むと、襖をあけて縁へ出た。
弓道中祖伝 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)