トップ
>
田道
>
たぢ
ふりがな文庫
“
田道
(
たぢ
)” の例文
田道
(
たぢ
)
の家来が主人の手纏を取つて
田道
(
たぢ
)
の妻に持つてゆくと、妻はその形見を胸に抱いて自殺し、この夫妻の死はひろく世間から惜しまれ手厚く葬られた。
大へび小へび
(新字旧仮名)
/
片山広子
(著)
ただの田圃とすこしも変りはない、その蛇田の向うの松原に
田道
(
たぢ
)
の石碑が立つてゐる。電車の中から礼をした。
東北の家
(新字旧仮名)
/
片山広子
(著)
仁徳天皇の御代、北方の
蝦夷
(
えみし
)
らが叛いた時、上野の勇将
田道
(
たぢ
)
を大将として征伐させたが、その時の
蝦夷
(
えみし
)
はひどく強く、
田道
(
たぢ
)
は石の巻の港で戦死してしまつた。
大へび小へび
(新字旧仮名)
/
片山広子
(著)
あとでもう一度
戎夷
(
えみし
)
の兵が石の巻に攻め入つて
田道
(
たぢ
)
の墓を掘りかへした時に、墓の中から大蛇がいくつもいくつも出て来て敵兵を無数に咬み殺したといふ伝説があつて
東北の家
(新字旧仮名)
/
片山広子
(著)
蛇田といふところはむかし
戎夷
(
えみし
)
が叛いてこの上地に攻め入つた時、下野の勇将
田道
(
たぢ
)
が朝廷の命を受けて闘つたが、敵は強く
田道
(
たぢ
)
は戦死してしまつた。それをこの土地に葬つた。
東北の家
(新字旧仮名)
/
片山広子
(著)
▼ もっと見る
その後しばらく経つてまた
蝦夷
(
えみし
)
が攻め込んで来て
田道
(
たぢ
)
の墓を掘りかへした。すると墓から大蛇が出て来て多勢の敵をくひ殺した。喰はれなかつた奴らもみんな蛇の毒気にあたつて死んだ。
大へび小へび
(新字旧仮名)
/
片山広子
(著)
“田道(上毛野田道)”の解説
田道(たぢ、生年不詳 - 仁徳55年)は、仁徳朝の武人。田道の氏姓に関して『日本書紀』には記述されないが、『新撰姓氏録』には田道公と表記され、姓は公とされる。
(出典:Wikipedia)
田
常用漢字
小1
部首:⽥
5画
道
常用漢字
小2
部首:⾡
12画
“田道”で始まる語句
田道間守