かくして法然は、上は王公から、下は庶民に至るまで、その徳風が流溢りゅういつして来た。文治四年八月十四日のこと、後白河法皇が河東押小路かとうおしこうじの御所で御修経のことがあった。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)