摂津の西境一帯の海岸は、数里にわたって、みぬめの浦(または、みるめ)と称えられていた。ここには汶売神社があって、みぬめは神の名であった。
「つゝ」と言ふ語は、蛇(=雷)を意味する古語である。「を」は男性の義に考へられて来たやうであるが、其に並べて考へられた汶売・宗像・水沼の神は実は神ではなかつた。
「つゝ」という語は、蛇(=雷)を意味する古語である。「を」は男性の義に考えられてきたようであるが、それに並べて考えられた汶売・宗像・水沼の神は実は神ではなかった。
此処には汶売神社があつて、みぬめは神の名であつた。前に述べた筑後の水沼君の祀つた宗像三女神は、天真名井のうけひに現れたのである。だから、禊ぎの神と言ふ方面もあつたと思ふ。
元々、禊ぎの神でもないのに、広田・西の宮は古くから、住吉・汶売の神々とごつちやに考へられて来た。禊ぎの助手である海辺の民が、其方面の神を主神とするのは、不思議のない話である。